テープ起こしを行っていて思うことがあります。それはことばの乱れです。
「ことばは時代とともに変化するのだ」ということをよく聞きます。確かにそうでしょう。
江戸時代のことばと現在の使われ方の違い。明治時代のことばと現在の使われ方の違い。
たしかにあります。
しかし、現代の社会において果たしてそれでいいのでしょうか。
とくに若者ことばというものが生まれ、それがやがて広まっていたりします。
否定のことばがいつのまにか肯定のことばになっていたりします。
少し前には「ら」抜きことばが問題になりました。
テレビでときどきことわざの意味についてアンケートをとったら正しい人のパーセントより間違った使い方のパーセントが多かったりしています。
講演などで著名な人が話をされていて「かんがんがくがく(侃々諤々)」と言うべきところを「けんけんがくがく」と言われていることがよくあります。「かんかんがくがく(侃々諤々)」と「けんけんごうごう(喧々囂々)」とを一緒にしてしまってまったく意味が通じません。
いまは高度情報化社会になってきています。今後、さらに進んでいくと思われます。
このような情報化社会になればなるほど正しい情報が要求されてくると思います。
そして、グローバルな情報化社会となっていくと思われます。
先日、図書館で面白い本を見つけました。『外国人が日本語教師によくする100の質問』(バベル・プレス)という本で、外国人に日本語を教えている教師が日本語を習っている外国人からの疑問についての質問が載ったものです。
いくつか抜粋してみます。
「氷上を滑る」「氷上で滑る」はどう違いますか。
「鉛筆があります」「鉛筆はあります」はどう違いますか。
「コーヒーを飲みたい」「コーヒーが飲みたい」のどちらが正しいですか。
「メモを見て話す」「メモを見ながら話す」は同じですか。
「思う」と「考える」の違いについて教えてください。
いかがですか。説明ができますか。
このようにグローバル化した高度情報化時代における国語である日本語はもっと厳格に教育していくべきではないでしょうか。
外国人が正しい日本語を話し、日本人が間違った日本語話すようになってからでは遅いと思いますが、いかがでしょうか。
木村蒹葭堂(きむらけんかどう)には多くの著書があります。『一角纂考』『銅器由来私記』『桜譜』『禽譜』『奇貝図譜』『日本山海名産圖會』『本草綱目解』などがあります。「譜」は図鑑の意味で、それぞれの図鑑を蒹葭堂は著しています。 ![]()
クダマキガイ科チマキボラという図のような貝があります。これは水深250~300mにある貝ですが、蒹葭堂の『奇貝図譜』(1775年)によって初めて紹介されました。『奇貝図譜』では「子ジヌキ」という名前で紹介されています。
さて、『一角纂考』という著書がありますが、この「一角」といううのは1本の角という意味
です。ヨーロッパでユニコーン(Unicorn)と呼ばれていた一角獣の伝説があります。![]()
額の中央に1本の角が生えた馬に似た伝説の生き物です。非常に勇猛で、処女の懐に抱かれて初めておとなしくなるといわれています。角には水を清め、毒を中和する力があると言われています。そして、この角はあらゆる病気を治す力があると言われています。
この伝説のもとは北海に生息するイッカク(ウニコール)の角(実際は牙)であったのです。ウニコールは解毒剤や解熱剤、疱瘡の特効薬として信じられ、珍重されていて、多数売買されたようです。一部、江戸時代に日本にも輸入されたようです。![]()
このイッカクは冷たい海にすむ歯鯨(はくじら)の一種で、雄の頭部にまっすぐ前に1本の歯が伸びているのです。この歯の長さは2.5mほどで、中には3mほどのものもあり
ます。体の長さはこの歯を除くと4、5m程度であることから、この歯がいかに長いかおわかりだと思います。
蒹葭堂は、天明5年に長崎留学途次の大槻玄沢が蒹葭堂を訪ねたことが契機となり、オランダのライデン大学教授ヨンストン(1603~75)が著わした『禽獣魚介蟲図譜』、同じくオランダのアタナシウス・キルヒャーの『地下世界』、ヨハン・アンデルソンが1746年に著した『アイスランド・グリーンランド・ デーヴィス海峡地誌』などのオランダ本をもとに、北極海に生息する一角獣に関する記述を大槻玄沢に和訳してもらい、漢籍(漢文で書かれたもの)の記事も加えて編纂した博物書が『一角纂考』です。
この本には幕府医官で蘭学者の桂川甫周と大槻玄沢の序文があります。
木村蒹葭堂がいかに博学であったかをうかがい知ることができます。
参考
『なにわ知の巨人木村蒹葭堂』大阪歴史博物館編 思文閣出版
このお寺の由来がおもしろいので取りあげました。
そもそもこのお寺は石川丈山という人が開いたお寺です。石川丈山というのは三河国生まれの武将で徳川家康に仕えた人です。
大坂夏の陣において敵将である佐々十左衛門を討ち取る活躍をみせましたが、軍紀を破ったことから家康に妙心寺への蟄居を命ぜられました。
丈山は1615年(慶長20年)妙心寺へ入り、武士をやめて出家します。
1617年(元和3年)、林羅山の勧めで儒学者である藤原惺窩(ふじわらせいか)に師事し、儒学を学び、朱子学を修めます。
文武にすぐれた丈山は多くの仕官の誘いを断り、1618年(元和4年)病気がちな母を養うため紀伊浅野家(和歌山)に仕えます。数ヵ月の後、板倉重宗の勧めで安芸広島の浅野家に仕え、1635年(寛永12年)に母が亡くなると翌年退去して京に出ます。
1640年(寛永17年)、詩仙堂を着工します。翌年落成し、丈山は詩仙堂へ移ります。
詩仙堂は正しくは凹凸窠(おうとつか)といい、詩仙堂はその中の一室です。凹凸窠というのは、でこぼこした土地に建てた住居という意味です。
この詩仙堂には中国の漢、晋、唐、宋の時代の詩人36人の詩と肖像画が四方の壁に掲げられています。これは三十六歌仙にならって林羅山の意見も求めて選んでいます。
詩人は以下の36人です。
陳与儀、黄庭堅、欧陽修、梅堯臣、林 逋、寒 山、杜 牧、李 賀、劉禹錫、韓 愈
韋応物、儲光義、高 適、王 維、李 白、杜審言、謝霊運、蘇 武、陶 潜、鮑 昭
陳子昴、杜 甫、孟浩然、岑 参、王昌齢、劉長卿、柳宗元、白居易、盧 同、李商隠
霊 徹、邵 雍、蘇舜欽、蘇 軾、陳師道、曽 幾
詩人の肖像画は狩野探幽が描いて、詩は丈山が隷書体で書いています。
この部屋を「詩仙の間」と言われていて、この建物全体を詩仙堂と呼ばれています。
京都には詩仙堂、木下長嘯子(きのしたちょうしょうし)(北政所ねねの甥の木下勝俊)の歌仙堂、そして雅仙堂があり、「京都三仙堂」と呼ばれています。
丈山は隷書体による書をこなし、庭園を造るほか、煎茶に親しんでいます。
中国、明から帰化した 陳元贇との親交や、芭蕉が訪ねて来るなど、幅広く交友があり、また1668年(寛文8年)には法皇に隷書の大字を献上しています。
1672年(寛文12年)、90歳で没しています。
石川丈山は林羅山との交流があること、林羅山は徳川家康のブレーンでもあること、詩仙堂から御所が望めることから、一説には幕府の意を受けて京の監視をしていたということも言われています。
先日、テレビで住職がそのことを尋ねられて、即座に否定されていました。
この詩仙堂に興味を持ったのは、36人の詩人の肖像画を狩野探幽が描いたということです。漢、晋、唐、宋の時代の36人の詩人は会ったこともないと思われるのに、どのようにして描いたのでしょう。
○録音機材の無料貸し出し
このたび録音機材の無料貸し出しを始めました。座談会や会議など、録音をされるときに、どのような録音の仕方を良いかをご理解いただくために始めました。
○録音は録音技術が大事
現在、各社から性能の良いICレコーダが販売されています。録音機についてはこれら市販のICレコーダで十分その役目は果たせます。あとは録音のテクニックです。せっかく良い録音機であっても、最適な録音技術で録音をしないと良い録音はできません。
○録音機材無料貸し出しで録音技術を知っていただきたい
今回の録音機材無料貸し出しは録音機よりも録音技術を知っていただきたいということで始めました。精度の良い録音は録音機にも増して録音技術が大変重要です。
○録音技術をマスターしたら良い録音機を購入してください
録音機材無料貸し出しによって録音技術を知っていただいた上で、より適した録音機を購入していただきたいと思います。
録音機を購入される際にはどの仕様を重視されますか。おそらく録音時間にいちばん目が行くと思います。
現在販売されているICレコーダの録音時間はとてつもない長時間仕様になっています。どのICレコーダを選んでも録音時間が不足することはないでしょう。
○ICレコーダ購入は録音時間よりもマイク性能を重視
ICレコーダはピンからキリまで多種多様な機種がそろっています。購入される目安として、おおざっぱに言いますと、マイクはズームマイクを備えたものが良いでしょう。
録音機を置く場合にはズームマイクですと置く場所がわかりやすいし、録音も良い録音ができます。
○さらにUSB接続ができるものを選びましょう
マイクはズームマイクのものを選んだ上、さらにUSBケーブルを接続できるもの(あるいはUSB端子を備えたもの)をぜひ選んでください。これは録音したあと、録音の音声データをパソコンへ取り込めるからです。
MicroSDカードに録音音声を保存して、ICレコーダからMicroSDカードを取り出し、MicroSDカードからパソコンへ音声データを移す方法もありますが、やはりUSBケーブル接続を優先してお考えいただいたが良いと思います。
○精度の良い録音を目指して
カセットテープからICレコーダになってからは録音の精度がかなり良くなりました。さらに録音技術を加えていただくとさらに精度の良い録音ができるようになります。精度の良い録音は精度の良いテープ起こしができることにつながります。
録音機材無料貸し出しが少しでもお役に立てれば幸いです。ご利用をお待ちいたしております。
江戸時代の大坂に驚くべき人がいました。 木村蒹葭堂(きむらけんかどう)という人です。江戸時代中期の元文元年11月28日(1736年12月29日)に酒造家に生まれ、享和2年1月25日(1802年2月27日)に没しています。
「知の巨人」と称されるようになった木村蒹葭堂は本草学、文学、物産学、黄檗宗(おうばくしゅう 臨済宗一派)に通じ、書画、煎茶、、篆刻(てんこく 印章を作成すること)を嗜み、書画・骨董・書籍・地図、鉱物標本・動植物標本などの蒐集家でもあります。
蒹葭堂のもとには漢詩人、作家、学者、医者、本草学者、絵師、大名など、多くの人々が彼のもとを訪ねています。
なぜ、蒹葭堂は博学であったのか。
木村蒹葭堂の家は大坂北堀江瓶橋北詰の代々坪井屋吉右衛門を称しており、父、吉右衛門重周の長子として生まれています。木村蒹葭堂も長じて通称、坪井屋吉右衛門ですが、号を蒹葭堂としています。
蒹葭堂と号したのは、宝暦10年(1760年)頃、井戸を掘ったときに芦の根が出てきて、「これは古歌に詠まれた浪華の芦であろう」ということで、自宅を蒹葭堂と名づけ、自分の号にしました。
幼少期
木村蒹葭堂は一般の町人と違い、幼少期から本格的な学問を修めています。
画
寛保元年(1741年)蒹葭堂6歳のときに狩野派画工の大岡春卜に画を習っています。続いて、柳沢淇園の粉本(ふんぽん 東洋画の下書き・画稿)を学んでいます。
12歳になり、鶴亭(のちに黄檗山紫雲院住職となった)に沈南頻(しんなんびん)流の画を習っています。
13歳で柳沢淇園に伴われて江戸期の代表的画人である池大雅を訪ねており、やがて弟子となっています。池大雅の画風を蒹葭堂は慕っています。
文学
延喜3年(1746年)11歳で大坂の儒学者である片山北海に会い、北海から名を鵠(白鳥)、字を千里(千里を羽ばたく)と名づけていただいています。
北海からは経史(経書:儒教の基本的文献 史書:歴史書)や詩文(漢詩と漢文)を学んでいます。片山北海は荻生徂徠の古文辞学派に属し、混沌詩社(漢詩サロン)を起こした。
蒹葭堂も混沌詩社の同人の1人です。
蒹葭堂の『梅花十題』の中の1詩で、古城に咲く梅を往事を回想しつつ歌ったものです。
春信何来古塁東 花魁想見昔時雄
百年郊野甲兵尽 戦気変為馥郁風
また、趙陶斎という儒者で書画もよくした人にも師事しました。請われて『蒹葭堂記』を書いています。
本草学
12歳で父に従い京都で津島桂庵に会い、草木のことについて尋ねています。
16歳で入門して本草学(薬用の観点の植物学)を学んでいます。
当時、本草学が盛んで、本草の会、物産会、薬品会などが開かれていました。
蒹葭堂は『本草綱目啓蒙』を刊行し、幕府の医者にもなった小野蘭山にも師事しています。
茶事
蒹葭堂は煎茶愛好家でもありました。売茶翁という肥前蓮池(佐賀県)の人で、京都の双ヶ岡において茶を煎じ、風流三昧の人と親しくなり、同好の者と『風流社』をつくりました。
蒹葭堂は長ずるにつれ、さらに、あらゆるものにかかわっていき、町人としてはまれに見る博学の人でありました。
蒹葭堂の死後、彼の莫大な蔵書は幕府の命令で大部分を昌平坂学問所(江戸にある幕府直轄の学問所)に納められました。
参考
『なにわ知の巨人木村蒹葭堂』大阪歴史博物館編 思文閣出版
耳慣れないことばだと思います。
この説明をする前に高齢社会というものについて触れてみましょう。
高齢社会とか高齢化社会とか言われますが、国連において次のように定義されています。
全人口に対して65歳以上の人が占める割合を「高齢化率」といいますが、この高齢化率によって以下のようになります。
高齢化率
7%超~14% 高齢化社会
14%超~21% 高齢社会
21%超 超高齢社会
我が国ではどのような状況でしょうか。
国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(平成18年12月推計)」によりますと以下のようになっています。
高齢化率
平成17年(2005年) 20.2%
平成18年(2006年) 20.8%
平成19年(2007年) 21.5%
平成20年(2008年) 22.1%
平成21年(2009年) 22.8%
平成22年(2010年) 23.1%
平成23年(2011年) 23.4%
平成25年(2013年) 25.2%
平成30年(2018年) 28.6%
日本はすでに超高齢社会に突入していることになります。
これをまず頭に入れて、次に人口ボーナスの話に戻します。
人口ボーナスとは生産に従事できる年齢の人口(生産年齢人口)を養われる人口(従属人口)で割った数値を「人口ボーナス指数」といいます。
ここで生産年齢人口の年齢範囲、従属人口の年齢範囲は以下の通りです。
生産年齢人口 15歳から64歳まで
従属人口 14歳以下と65歳以上
つまり、生産年齢人口(働き手)が従属人口(養われる人口)の何倍いるかということです。人口ボーナス指数が高い(大きい)ほど経済成長が望めることになります。
とくに、人口ボーナス指数が2を超える期間をボーナス期と言われ、経済成長が加速すると言われています。
主な国の将来の人口ボーナス指数は以下のようになります。
2010年 2020年 2030年 2040年 2050年
日本 1.80 1.49 1.40 1.17 1.04
中国 2.56 2.29 2.05 1.70 1.59
インド 1.80 2.03 2.21 2.28 2.13
ブラジル 2.09 2.37 2.26 2.03 1.69
アメリカ 2.01 1.83 1.65 1.61 1.59
ロシア 2.59 2.11 1.89 1.84 1.52
(日経ヴェリタス2009年10月18日~24日号掲載記事より)
日本はご覧の通りです。中国は一人っ子政策により2030年以降に2を切り始めます。ブラジルは2040年頃までは2をキープします。
この数値をどのように読み、どのように感じられましたでしょうか。
テープ起こしにとって録音の良し悪しがテープ起こしの精度の大きな要因となることは間違いありません。その録音に対してどの程度それを意識して録音をされているのでしょうか。
せっかく録音されても、雑音が多かったり、マイクから遠かったりしてテープ起こしを断念せざるを得ない結果になることがしばしばあります。
何とかしてテープ起こしをしたいところですが、いかんせん、こればかりはどうにもなりません。
人は耳から入る音を人の話と雑音とを区別して、人の話に意識を集中しながら話をしますので、会話が成り立っています。人間の耳はそういう意味では非常に優秀な集音器官です。
一方、録音機はそのような機能は持ち合わせていません。デシベル(dB)の強さで音がマイクから入力されて録音されますので、会話の声とそれ以外の雑音と一緒に入ってきて録音されます。
録音した人があとから録音を再生して聞いてみてその雑音の多さ、大きさに驚かれると思います。
このように録音をされるときには、できるだけ雑音の少ないところで録音するのがいちばんですが、必ずしもそういう場所で録音できるとは限りません。
それではどうしたらいいか。
いくつかのポイントを押さえて録音をされると従来よりはかならず良い結果が得られると思います。
最近ではICレコーダが録音の主流となりつつありますので、ICレコーダを想定して述べてみます。
その1
話し手の位置を録音機に極力近づける。
これは録音する上でいちばん大事なことです。どんなに優秀な録音機であっても、マイクから遠い場合は録音精度が必ず落ちます。
よくあるのは数人で話をされる場合、録音者がいちばん録音機に近くて、その他の方が遠い場合、録音者の声は比較的クリアに聞こえますが、その他の方の声はほとんど聞こえないことがあります。その場にいる人から均等な距離に録音機を設置することが肝要です。
そして、その距離は出来るだけ短かくすることです。
例えば、会議などの場合、人の座る間隔を大きくとらず、極力せばめてマイクからの距離を縮めます。
その2
雑音の発生源からできるだけ遠ざける。
雑音はどのようなところにもあります。より靜かな場所を選ぶのがいちばんですが、なかなかそうもいきません。
最悪なのはファミリーレストランなどでの話の録音です。BGMの音楽や、周りの席からの話し声や子供の声などが話と一緒に録音されて、再生したときに当事者の話か周りの人の話か区別できないときがあります。
ファミリーレストランでどうしてもせざるを得ないときは、できるだけコーナーの席をを選ぶことで、周りから来る雑音を少なくするとか、周りに子供がいないとか、BGMのスピーカーから遠いとか、そういう条件の席を探すだけでも効果はあります。
その3
録音モードを極力高精度モードとします。
ICレコーダには録音モードがいくつか用意されています。ロングモードから高精度モードまで何段階かありますので、できるだけ高精度モードに設定して録音します。
ロングモードは録音時間が一番長く、高精度モードになればなるほど録音時間は短くなります。
音楽の録音ではありませんので、最上級のモードまでしなくてもいいですが、それでもできるだけ上位のモードにすべきです。
仕様書を見たら録音時間が一番長いということでロングモードで録音をしますと、マイクから少し離れただけで、再生したときに大変聞きづらい録音となります。
ロングモードは口述のようにマイクを口に近づけて録音する場合はいいですが、普通の録音では避けるべきです。
その4
マイクは外付けマイクで録音をする。
最近のICレコーダの高価なものは外マイクと同じ効果を持つマイクを装備したものが数多く販売されるようになってきました。そういう製品ではそのマイクで録音するといいでしょう。従来のタイプのものでは内蔵マイクではなく、外付けマイクを使うといいでしょう。外付けマイクを極力話者に向けて録音することで録音の精度を良くすることができます。
ICレコーダは年々進化しています。各メーカーから次から次へと新製品が売り出されています。録音時間の長時間化、音質のグレードアップ、マイクの高精度化となっても、要は録音をする方の工夫が必要なことは言うまでもありません。
「来年のことを言うと鬼が笑う」と言いますが、もうこの時期になれば鬼も笑っておられないでしょう。
平成22年7月19日(海の日)から10月31日(日)まで瀬戸内国際芸術祭2010が開催されます。
瀬戸内地方はご存知のように、気候温暖で穏やかな瀬戸内海に面して、美しい自然景観を有しております。
国立公園として日本で最初に雲仙、霧島と並んで瀬戸内海国立公園が1934年(昭和9年)に指定をされています。
瀬戸内海国立公園は紀淡海域(和歌山・淡路島)から豊予海域(大分・愛媛)までと日本一広く、大小1000余りに及ぶ島々があります。
瀬戸内海は有史以来、海上交通においては重要な役目を果たしてきました。島々に立ち寄る船のために港が設けられ、常に新しい文化が伝えられてきました。そして島々の固有の文化とつながり、育まれてきました。
日本経済の高度成長とともに人口の都市集中が始まり、島々の人口は減少と高齢化が進み、島の固有性が失われつつあります。
瀬戸内国際芸術祭2010は、「私たちは、美しい自然と人間が交錯し交響してきた瀬戸内の島々に活力を取り戻し、瀬戸内海が地球上のすべての地域の『希望の海』となることを目指し、瀬戸内国際芸術際を開催します」と述べています。
この芸術祭は直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島の七つの島と高松港周辺を舞台に開催されます。
そして、「『民俗、芸能、祭り、風土記という通時性』と『現代美術、建築、演劇という共時性』を交錯させ、瀬戸内海の魅力を発進するプロジェクトです」とあります。
開催概要は「瀬戸内国際芸術祭2010」のサイトをご覧いただきたいですが、以下のように開催されます。
名 称 瀬戸内国際芸術祭「アートと海を巡る百日間の冒険」
開催期間 2010年7月19日(海の日)―10月31日(日)
会 場 直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、高松港周辺
瀬戸内国際芸術祭実行委員会
会 長 真鍋武紀(香川県知事)
総合プロデューサー
福武總一郎(財団法人直島福武美術館財団理事長)
総合ディレクター
北川フラム(アートディレクター)
構成団体 40団体、オブザーバー 4団体
参加予定アーティスト、プロジェクトリスト(2009年10月25日現在)はこちらから参照 ください。
※上記記事には瀬戸内国際芸術祭2010のサイト(http://setouchi-artfest.jp/) から引用させていだたきました。
当時は学問所というと藩校があります。これは各藩がつくった学問所で、当然藩士の子弟の教育を行うものでした。後に庶民にも開放されたところもあります。
また幕府直轄の学問所として昌平坂学問所(しょうへいざかがくもんじょ)というところがあります。
そのほかに私塾があり、漢学、蘭学、医学、その他和算、天文学、書、画などの塾がありました。
私塾で有名なところとして緒方洪庵の適塾(大坂)や吉田松陰の松下村塾(萩)などがあるのはご存知だと思います。
○懐徳堂の設立
享保9年(1724年)に大坂の5人の豪商(五同志)たちの出資により、三宅石庵(みやけせきあん)を学主(がくしゅ)に迎えて設立された町人を対象とした学問所です。
運営は有力町人たちによって行われました。
三星屋武右衛門
道明寺屋吉左衛門
舟橋屋四郎右衛門
備前屋吉兵衛
鴻池又四郎
享保11年(1726年)には将軍徳川吉宗に認可されて官許学問所となり、明治に至るまで続きます。
○懐徳堂の発展
初代は三宅石庵が学主となり、第二代目学主の中井甃庵(なかいしゅうあん)の頃から高度な学術研究が展開されて盛んになってきました。
第四代学主の中井竹山(なかいちくざん)、その弟である中井履軒(なかいりけん)が第五代学主の頃には全盛期となり、幕府直轄の江戸の昌平坂学問所をしのぐほどであったと言われています。
○懐徳堂の学問
懐徳堂ではどのような講義が行われていたのでしょうか。
商業活動における「利」に直結することではなく、その基盤となる「忠孝」「正義」、いわゆる「人の道」を学び、実践することにより「利」はおのずとあとからついてくる。
『論語』『孟子』などを学んだと言われています。
○懐徳堂からの町人学者誕生
懐徳堂に学んだのは大坂の町人たちで、町人学者として富永仲基(とみながなかもと)、山片蟠桃(やまがたばんとう)、草間直方(くさまなおかた)などを輩出しました。
○懐徳堂の明治以降
懐徳堂は明治2年(1896年)にいったん閉校となりますが、大正5年(1916年)に財団法人懐徳堂記念会が認可され、江戸時代の懐徳堂と区別して重建(ちょうけん)懐徳堂として再建されます。
○懐徳堂は大阪大学へ
大阪大空襲で重建懐徳堂は消失しますが、書庫は鉄筋コンクリート造りであったために消失を免れ、昭和24年に蔵書と職員は大阪大学へ移管され、今日に至っています。
平成11年(1999年)には大阪大学文学部内に懐徳堂センターが設置され、さらに平成21年(2009年)5月1日に改組され大阪大学大学院文学研究科に懐徳堂研究センターが発足しています。
世界経済フォーラム(別名ダボス会議 スイス・ジュネーブ)は去る9月8日に2009年版世界競争力報告(The Global Competitiveness Report 2009-2010 )を発表いたしました。
これは世界経済フォーラムが133ヵ国・地域における多くの評価項目により評価ランキングの発表をするものです。
今回の発表順位は以下の通りです。
順位
1(2) スイス
2(1) 米国
3(5) シンガポール
4(4) スウェーデン
5(3) デンマーク
6(6) フィンランド
7(7) ドイツ
8(9) 日本
9(10) カナダ
10(8) オランダ
29(30) 中国
49(50) インド
56(64) ブラジル
※()内は昨年の順位
ここで注目したいのは1位のスイスです。スイスはどんなイメージをお持ちでしょうか。
スイスアルプス、時計、銀行、最近話題のシンドラーエレペータでしょうか。
スイスの国土面積は日本の九州ぐらいの広さです。スイスアルプスのマッターホルン、ユングフラウ、モンテローザと4000m級の山々に囲まれており、平地の耕地面積は極端に少ない国です。しかも、これといった天然資源はほとんどありません。
こういうことから、かつては傭兵として外国に兵隊を派遣して外貨を稼いだ時期があったのはご存知ですか。当然、スイス人の傭兵が敵・味方で戦うこともあって悲惨な状況に置かれておりました。
14世紀にハプスブルク家を破って独立したことからスイス兵の強さが認められ、しかも忠誠心があることから外国からの要請で傭兵として外貨を稼ぐようになったのです。
バチカンでは1505年にスイス人衛兵隊が採用されましたが、1527年の神聖ローマ帝国のローマ略奪の際には147人のスイス人衛兵が戦死しています。
ちなみにバチカンのスイス人衛兵は500年経った現在も続いています。
さらにフランスにおいてはフランス革命の軍からルイ16世とマリーアントワネットを最後まで守り続けて、786名のスイス人衛兵が悲劇的戦死をしております。ルツェルンという町にはそのときをしのんで「瀕死のライオン」の像が岩壁に彫られています。
耕地面積が少なく、天然資源がなく、ほとんど輸入に頼らざるを得ないところは日本とよく似たところがあります。
そのスイスがなぜ世界一の競争力を持つようになったのか、まったく驚きです。
その一つに観光があります。
世界有数の山とその景観のすばらしさを観光とすることで外貨を稼いでいます。スイスのアルプス観光で特筆すべきことは登山鉄道の発達です。
アルプスの登山鉄道は1871年(明治4年)にVRB鉄道(フィッツナウ・リギ鉄道)がヨーロッパで初めてリギ山(標高1798m)に開通しました。山頂駅の標高は1752mです。
1889年(明治22年)にはピラトウス(標高2132m)にピラトウス登山鉄道が開通しました。山頂駅の標高は2067mあります。この登山鉄道は480パーミル(1㎞進むと480m上がる)の急勾配の登山鉄道です。
マッターホルン(標高4478m)には、その景観を見ることができるゴルナーグラートまでのゴルナーグラート鉄道が標高3130mまでできました。それからスイスアルプスで有名なユングフラウ(標高4158m)の鞍部(あんぶ)にユングフラウヨッホ駅(標高3454m)までのユングフラウ鉄道が1912年(大正元年)に開通しました。
日本の登山家である槇有恒がアイガー東山稜を初登はんしたのが1921年(大正10年)ですから、そのときにはユングフラウ鉄道は開通していたことになります。
ユングフラウは麓のグリンデルワルトの村から見て北壁で有名なアイガー(標高3970m)、そしてメンヒ(標高4099m)、ユングフラウと連なっています。ユングフラウ鉄道はアイガーの山腹をトンネルで抜けて通っていますが、アイガー北壁駅があり、アイガー北壁に造られた窓から雄大な景色を眺めることができます。
これらの登山鉄道のおかげて登山家しか行けないような4000m級のアルプスの山々や氷河を目の当たりにすることができます。
鉄道以外でもゴンドラやロープウェイによって行くことができる展望台もあります。クライン・マッターホルン展望台(最近はマッターホルン・グレイシャー・パラダイス展望台と呼ばれます)は標高3883mで、富士山よりも高い展望台へ麓のツェルマットから30分で到着できます。
この観光資源を大切にするものとしてツェルマットの自動車乗り入れを全面的に禁止していることをご紹介しましょう。
自動車はすべてツェルマットの一つ手前の駅までで、ツェルマットへ乗り入れることはできません。ツェルマットへは鉄道のみで行かざるを得ません。ツェルマットでは電気自動車がもっぱら交通手段となっています。
我が日本の信州にあります上高地も同じような感じですが、マイカーが乗り入れできないだけで、バスとタクシーは乗り入れできますから、ツェルマットほどではありません。
スイスのアルプス観光は1800年代の後半からいかに力を入れてきたかがお分かりいただけると思います。
スイスはご存知のように永世中立国です。それも武装中立です。このため国連加盟をよしとせず、ごく最近まで未加盟でした。ようやく2002年9月に加盟を果たしました。
ところが国連加盟前から国連の諸機関が数多くあるのに驚かされます。
○国際連合諸機関
国際連合欧州本部
国際連合人権高等弁務官事務所
国際連合難民高等弁務官事務所
国際連合貿易開発会議
○国際連合専門機関
国際電気通信連合(ITU)
国際労働機関(ILO)
世界気象機関(WMO)
世界知的所有権機構(WIPO)
スイスは冒頭にも述べましたように、国土の面積は4万1000㎢で、ほぼ九州に匹敵する広さです。人口は約750万人(2006年度人口データ)ですから日本の1億2800万人(平成17年国勢調査)に対して17分の1になります。
2007年(平成19年)のスイスにおける1人あたりGDP(国内総生産 米ドル表示)を見ますと56,821ドルで世界第5位です。ちなみに日本は34,326ドルで世界第19位です。
1980年から2007年までの28年間にスイスが世界第1位あった年数は10年、2位にあった年数が9年、3位にあった年数が5年と常に上位にあります。
日本は世界3位が6年で、あとはそれ以下になります。もちろんグロスで比較すれば日本は常にアメリカに次ぐ経済大国であることは変わりませんが、中国の追い上げが気になるところです。(内閣府 経済社会総合研究所推計値)
スイスという国には学ぶところが多いのではないでしょうか。
